「自伝(月が死んだ車庫のように輝くとき)」
月が死んだ車庫のように輝くとき
ぼくはガソリンの亡霊たちと一緒に旅するんだ、彼らの過去の
土地を、一九三九年時速数マイルで走った二十七年型の
モデルAでね、ぼくが忘れてしまった土地へさ。
「万事休す」
ぼくは心をこめてこんにちはといった、
だけど彼女はもっと心をこめて
さようならといったのさ。
「ぼくらが十一時のニュースだった」
ぼくらが十一時のニュースだった、
ぼくら以外の世界が地獄に落ちようとして
いるとき、ぼくらは愛し合っていたのだ。
「アルバート・アインシュタイン(あるいは
古風ないい方をすれば
五、〇〇〇光年彼方の蟹星雲
から秒速三七二、〇〇マイルの速さ
で光はやってきているのだ
ということを初めて読んで」
こうしているうちにぼくらはみな数マイル遅れてしまう。
「アメリア・エアハートのパンケーキ」
ついに見つからなかったな、このタイトルにふさわしい
詩が。その詩を求めて
幾星霜、ことここに至ってはもう
あきらめたよ。
一九七〇年十一月三日
「ロボット」
長くて気怠い夏の日の午後を
ロボットはねむってすごすのが好きだ。
彼の友人たちも昼寝が好きだ。
すると彼らの体はブリキ缶のように
太陽の光にぴかぴか光るのだ。
「たてつく二人」これは、三谷幸喜さんと清水ミチコさんがやってるラジオ番組が字になったものです。
これぞ理想のおしゃべり。なんてシャレてるんでしょう。二人の力量が五分と五分。こんなことって、ありそうでなかなかないんですよ。だいたいどのおしゃべりも、どっちかが面白くって、どっちかが聞き手になるんですよ。特に男女となると難しいです。だいたいが男がメインで、その男より若い女がアシスタント。男のセクハラまがいの発言に、うっかり乗ってしまう女の軽いぶっちゃけ下ネ夕、これで大爆笑、てなノリの。じゃなかったら、女が強くて、男がザ・ TBSアナウンサー的な立ち位置か。三歩下がってイエスマンを装いつつ、たまに丁寧な言葉遣いでチクリ、みたいな。
(中略)
常々思ってたんです。女性のMCはなぜ関西人しかいないのだろうって。きっと、「なんでやねん」があるからなんでしょう。女が「なんでだよ」って言うと、きついし、汚いし、不快感を与えてしまうんですよ。だから春菜ちゃんのように「……じゃねえよ!」って、抑揚を付けるとかしないと。かといって「なんでですか」もリズムが悪いし、ボケがパワー不足だったら、ただの質問になりかねませんからね。だから、清水さんが無意識にやってる笑いながら訂正、これが正しいんですよ。ツッコまなくても笑うことでボケを引き立たせられますし、昔からおばあちゃんが言うでしょう「女の子は笑っとけ」って。訂正し、話を誘導したとしても、女のくせにしゃしゃリ出やがって感がなくなりますもんね。大きなお世話ですが、清水さんはもっと売れた方がいい。
(後略)
「日本を支えるのは三十代の女……かな」
p109
とまあ、年齢やら職業やらによって、さまざまなコメントがあって楽しめたのだけれど、その合聞を縫うように、
「やっぱり貰花田関には、ふつうの家庭のお嬢さんのほうがふさわしいのでは……」
「ああいうハデな人ではふさわしくないと思っていました。家を守り、夫をたててくれる人がいいですよ」
などという良識あるコメントがあって、んー、こういう良識派も必要だよなー、どういう人だろうと思ってみれば、おふたりとも三十三歳・主婦、三十歳・主婦であった。
つまり、「貴花田の結婚相手には、家を守り、夫をたててくれる、普通の家庭のお嬢さんがふさわしい」というのが、そのスポーツ紙でみるかぎり、三十女の最大公約数的な考えであるらしいのだった。私はモヤシソバをすすりながら、白分の年齢にふと思いをめぐらせた。
くしくもその日は、私の三十六歳の誕生目だったのだ。そうか、これが三十代の女性の平均的な考え方なのかとシミジミ感無量であった。そりゃあ、いろんな考えの人がいて当然だし、「普通の家庭のお嬢さん」が結婚相手にふさわしいという良識ある意見も大事だけれど、それがなんで、三十女に集中してるのだろうか。すこしくらい、ハズしてくれる人がいてもいいのに。
「夢のあるカップルだと思っていたのに、現実はキビしいですね」とか、「ああいう世界にお嫁にいくのは苦労があるし、破談はかわいそうだけど、りえちゃんもまだまだ未来があるんだから」とか、なにかこう、もうすこし、りえちゃん寄りのコメントがあっていいような気がするんだけれど。なのに、三十女はみんな貴花田寄りの、良識派ばかり。
日本の良識と伝統は、既婚の三十女が支えているんだなあと、あまり良識的ではない未婚の三十半ばの私はホロリとしてしまった。
これで思いだすのが、去年、とある女性フォーラムに出席したときのこと。結婚問題にからめて母娘のつきあい方なんかをQ&Aで話しあっていたとき、五十代くらいのお母さまが
「どうしても娘に結婚してほしいわけではないけれど、独身で一人暮らししていると、自分のことしか考えない、わがままな性格になるような気がして。そのてん結婚すると、我慢しなきゃならないこともたくさんあるし、自分を抑えなきゃならないこともあって、性格的にコナれて、いたわりの気持ちもわいてくると思うんですよ」 というようなことをおっしゃった。
結婚をとおして人間的に成長してゆける、だから結婚はしたほうがいいというわけで、なにかこう結婚道というのか、結婚が人間修行の場となるという、おもわず背筋ののびるようなシュンゲンなご意見だった。
私はその場では口にしなかったけれど、このお母さまはきっと、結婚生活で我慢したり、自分を抑えなきゃならないことがあったんだろうなあ、その辛さや大変さをグチるかわりに、これが結婚というものだ、自分を抑えることで、いたわりの気持ちもわいてくるんだから……とみずからを慰めていらしたんだろうなーと想像して、シンミリしたものだった。 それはそれで立派な生き方だし、そのお母さまの生き方を否定するつもりはないけれど、それを他人、というか娘にも要求しちゃうのが、わかるようで……やっぱり、わからなかった。
貴花田のお嫁さんはフツーの家庭のお嬢さんで、家を守り、夫をたてる人が……とコメントした三十代の女性も、みんな、元はフツーの家庭のお嬢さんで、結婚後の今は、妻とは家を守り、夫をたてるものであると信じて生活してるんだろうな、それはそれでけっこうな生き方だけれど、どうして、それをアカの他人にも要求しちゃうのかなあ。
家を守り、夫をたてるばかりじゃない結婚もある--とは思わないのが、実際に結婚している経験者の強みなんだろうけどねえ。
破談説はガセで、めでたく結婚できても、りえちゃんの結婚生活は大変かもしれない。
血のつながらない三十すぎの小姑が、日本中にいるんだもん。